目指すは滋賀県大津市
この日のゴールは滋賀県大津市にある快活CLUB大津膳所店。ただし途中で寄りたい箇所が2つあります。1つは東海道の上りの出発点である京都の「三条大橋」、もう1つは言わずと知れた清水寺です。寄り道も含めるとこの日の総距離は約39km、昨日よりも短めです。

京都府に入る
朝6時出発。今日も良い天気です。朝はまだ涼しいので日傘はしまっておきます。

朝8時過ぎに京都府に入りました。1時間に1回程度休憩しつつ、ずんずん進みます。
京都市に入る
11時前に京都市で「鳥羽伏見の戦い」の案内板を発見。もともと司馬遼太郎の「竜馬がゆく」でこの旅を思いついたので、維新前後の出来事には関心があり、足を止めて読んでしまいます。

11時半、鴨川沿いの河川敷を歩く。空が広く気持ちが良い。
ただ、、、如何せん暑い!!この時の気温は38℃。鳩も日陰に集まっていました(笑)


京都らしい町並みに心躍る
13時に木屋町通りへ。小説「竜馬がゆく」でも何度も出てきた通りにやって来るとワクワクします。


とんでもない間違い
なんと東海道の上りの出発点を三条大橋ではなく、四条大橋だと勘違いしてしまい、写真を撮りました(笑)。「ちゃんと歩ける東海道五十三次」という本まで買ったのに。。。笑


いざ清水寺へ
時刻は13時30分、さすがにお腹が空いたのでご飯屋さんを探します。しかし、、、夏の京都はどこも人が多い!どのご飯屋さんも人が並んでいます。もうご飯を食べるのは諦めてかき氷を食べました。


以下少しだけ自分語りをします。徒歩旅には関係ないので興味の無い方は飛ばしてください。
僕は大学では中世の説話文学で卒論を書きました。説話とは簡単に言うと昔話です。昔から語り伝えられてきた話のこと。平安時代や鎌倉時代にもそうした昔話があり、「わらしべ長者」や「舌切り雀」、「こぶとりじいさん」など現代にも残る話もあります。さて中世の説話文学を読んでいると頻繁に京都の清水寺に関する話が出てきます。頼りのない女が清水寺の観音様にお願いして裕福になった話や清水寺に2千回詣でた男が博打で負けて渡すものが無くなった際に、その2千回詣でた功を渡すと約束をして受け取った男が幸せになり、渡した男は不幸になった話などなど。要するに当時清水寺の観音様は頼めばなんでも叶えてくれる存在だったのだ。本当に困っているのではなく、「楽に生きたい」みたいな下心をもっていると痛いしっぺ返しに合う、みたいな話もあったような気がする。
ということで、東京までの徒歩旅が無事に終わりますように、と清水寺の観音様にお願いしておこうと思ったのである。

夏の清水寺
夏の清水寺にはたくさんの風鈴が飾られていました。めちゃくちゃいいやん!思わず動画も撮りました。

観音像に旅の無事をお祈りしたら徒歩旅に戻ります。目指すは滋賀県大津市。まずは京都市山科区に行きます。
山科区へ
14時前、花山洞(旧東山隧道)というトンネルに差し掛かりました。Google Mapを見る限りこのトンネルを通らないといけないらしいのだが、、、なんか怖い!!

6年経って調べてみると幽霊が出ると噂の場所らしい。

知らなくて良かったー!!!笑
「怖っ」と思いつつ「昼間だしね」と自分に言い聞かせ通り抜けます。途中人とすれ違うこともあり、地元の人は気にせず使っているようなので大丈夫、だと思います。たぶん。笑

滋賀県に入る
16時20分滋賀県に入りました。しばらく歩くと逢坂山の文字が。なんか嬉しい(笑)


教科書で良く見た逢坂山の文字に心躍ります。「ここが逢坂山なんだぁ」と思いつつ歩きます。
鰻を食す
17時30分、明治5年創業の鰻屋「かねよ」さんに立ち寄りました。お昼ごはんをかき氷で済ませたため、お腹はぺこぺこです。絶対立ち寄ろうと狙っていました。4,320円(現在は5,500円)の極上きんし重を食べました。

車石を発見
18時30分大津市逢坂山小学校で車石を発見しました。昔は大津側から京都に荷物を運ぶため、この逢坂山を通る必要がありました。しかし逢坂山がぬかるんでいると荷物を運ぶことが難しい。そこでこの車石を敷き詰めて、この上を牛車や人が通っていたそうです。


目的地に到着

19時前に目的地の快活CLUB大津膳所店へ到着しました。約39kmの道のりを歩き切りました。昨日に比べれば大したことない。この日もシャワーを浴びて、サロンシップとエアサロンパスをして就寝です。
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